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最高裁判所第一小法廷 昭和59年(行ツ)335号 判決

上告人 小室壽美子

被上告人 社会保険庁長官

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人増本一彦、同中込泰子の上告理由について

厚生年金保険の被保険者である亡直司と直系姻族の関係にある上告人は、仮に亡直司と内縁関係にあつたとしても、厚生年金保険法三条二項の規定にいう「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」には当たらないというべきであり、これと同旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 角田禮次郎 谷口正孝 和田誠一 矢口洪一 高島益郎)

上告理由

原判決は厚生年金保険法三条二項の「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」の解釈を誤り、ひいては法の適用を誤つたものである。

原判決は、法三条二項の「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」には、本件の場合のような民法七三五条にあたる直系姻族間の内縁関係は包含されないと解釈する。その理由は、厚生年金保険給付は公的給付であり、反倫理的な内縁関係にある者は公的給付をうけるにふさわしくないというにあり、本件の場合は民法七三五条に規定された社会一般の倫理感に反する内縁関係であると判断しているからである。

しかし、以下の点より原判決は法三条二項の誤つた解釈を導いたものである。

第一 厚生年金保険制度は「公的給付」であると断定したこと。

一 厚生年金保険給付は「公的給付」とはいいえない。

厚生年金保険は国によつてつくられた制度であり、法律により加入が強制されているという意味においては「公的」ではあるが、その給付の財源は、被保険者とそれを使用する事業主とが半分の割合で醵出する掛金が基本となり、国庫負担は給付のうちの二割しか占めないのである(法八〇条一項三号)。とすると、「公的給付」というにはあまりにその負担割合が少なすぎる。

二 仮りに、給付の二割でも国庫負担があれば「公的給付」であるとされたとしても、「公的給付」であるから反倫理的な内縁関係にある者がそれを受けるにふさわしくないという論理的帰結にはならないはずである。

(一) 「公的給付」であればこそ、形式的な資格にあてはまるか否かの判断だけでなく、その加入員の死亡により生活保障を要する生活実態にあつたか否かについして判断されるべきである。

厚生年金保険は労働者及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とする(法一条)もので、遺族年金は社会相互扶助の理念に基づく生活保障費としての性格をもち、加入員が死亡した際、その遺族に年金を支払つて遺族の生活を護ることを目的とした社会保険制度である。だから受給権者は、「被保険者または被保険者であつた者の死亡の当時その者によつて生計を維持したもの」(法五九条一項本文)とされ、相続人か含かという形式的判断ではなく、「その者によつて生計を維持した」か否かという実態に着目し、受給資格が決まるのである。

「配偶者には、婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む」(法三条二項)として、法律上の夫婦か否かという形式だけではなくその生活実態が重視され、制度の目的を徹底したのである。

そして生活実態を重視する理由は右に加え、被保険者の掛金を捻出するもととなる労働に対して実態生活上の配偶者の寄与が多かれ少なかれ存在している点を考慮しているからであるといえる。

また、被保険者が掛金を醵出するみかえりとしての期待は、将来の自分あるいは事実上の配偶者を含め家族のための生活保障となるであろうというであろうし、その者が死亡した場合、その掛金の支払を背後において支え、協力してきた本文上の配偶者(妻)に、彼に準じる形で受給させることが制度の目的に合するのである。だからこそ「配偶者」「夫」及び「妻」が拡大されたのである。

(二) もし、「公的給付」であるから「反倫理的な内縁関係にある者」はその受給資格がないというのであれば、「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」の中で、「反倫理的な内縁関係にある者」に対する経済的制裁・処分ともいえる。とすればそれに該当しないということを明文で規定すべきであり、包括的に規定した「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」から除外されるということは消極的に広い意味の罪刑法定主義に反することにもなる。

第二 本件の場合を「反倫理的な関係」であると決めつけていること。

一 (一)原判決が「反倫理的」内縁関係か否かの基準を何に設けているのか明らかでないが「本件内縁関係は民法七三五条により婚姻することができないことが明らかで」あつて、「同条は一端適法に成立した婚姻により直系姻族としての生活感情を生じた者の間に婚姻を認めることは社会の倫理をみだすとの観点から規定されたもの」であるからで、本件内縁関係を反倫理的であるとするが、そこには何ら一貫した論理性がないように思われる。

(二) 原判決は民法の婚姻禁止規定(民法七三一条乃至七三六条)に該当する内縁関係が、「反倫理的」と判断しているのか、否、そうではない。

現に重婚的内縁関係の取り扱いについては、社会保険庁年金保険部長の通達に「届出による婚姻関係がその実体を全く失つたものとなつているときに限り、内縁関係にある者として認定すること」とあり、婚姻禁止規定に触れても、法三条二項に該当するとされている事例については、原判決は「将来法律上有効な婚姻関係に入り得る内縁関係であるか否かなどの点において、本件内縁関係とは著しく事情を異にしている」から本件内縁関係と同じではないという。即ち原判決は法三条二項には「反倫理的な内縁関係にある者を包含しない」と解釈するのであるから、民法七三二条に該当する内縁関係であつても「反倫理的」ではないと判断していることになる。

(三) しかし、内縁関係が民法の婚姻禁止規定に該当しない限り「反倫理的」であるはずはない。

民法が婚姻禁止規定を設けたのはそれぞれの場合にあたる婚姻が、社会的に是認されえないからである。禁止規定の各条項にあたつてみるに、(それのみが理由となり、最小限の妥当な制限となつているかはともかくとして)一応具体的合理的な理由が存在している。

たとえば、婚姻適齢については生物学的発達の理論が根拠にあり、待婚期間は子の父の推定の競合を避けるためであり、直系血族、三親等内の傍系血族の婚姻禁止は優生学上の理由である。しかし、直系姻族間、養親子間の婚姻禁止は具体的合理的な理由を見出しえない。単に反倫理的であるというにある。

(四) 民法七三五条は旧民法をそのまま踏襲したものであり、旧民法規定当時は、その社会的背景として直系姻族間の婚姻を含む近親婚一般が禁止される合理的理由があつたといえよう。

(五) 近族婚禁止は、それについて考察した資料(「家族法体系」有地享著「近親婚」)によれば、「わが国固有のものでなく、未開社会から近代社会に至るまでの普遍的現象であり」、その機能は「未開社会」においては、「親族組織は主として経済的供給、政治的安定及び防禦、宗教的表現等の社会における直接的維持ならびに目的達成の主要機能の遂行に存する。かように社会構成が親族関係に基礎づけられる場合における婚姻は、社会の緒要業間の相互透徹の重要紐帯を確立するもの」で「近親婚は社会の経済的、政治的、宗教的機能が依存している社会集団間の紐帯の形成維持に貢献すべき義務を潜脱するもの」であつた。しかし、今や社会の機能は「親族組織に代つて、地域集団、職業団体および経済団体によつて代行されるに至つた。

近代社会の近親婚禁止は、「近親者間の性関係が可罰的であるがゆえに婚姻が禁止されるものと、社会的制度としての婚姻自体を創設することが非難されるために婚姻が禁止されるものの二ツの類型が」あり、「核的家族成員相互間の性関係の禁止の可罰性は」、「夫婦の秩序と親子の秩序から組織される家族秩序の中に、親が婚姻の統一へ対象化された者=子との間に性愛を導入さすことは親子秩序の安定性を破壊し、親子秩序と性愛秩序との混同をさせることになる」。また「近代社会においても核的家族は自己永続の機能だけでなく、家族成員は家族から出て独立の新しい核的家族を創設する使命を担つている以上、いかなる核的家族もその周辺の親族組織とは無縁でありえない」等より一程の範囲で「近親婚禁止は社会構造の安定性と継続性の不可決の要件をなし」ているから現在も近親婚禁止が規定されているのである。

(六) とすると、民法上の婚姻禁止規定中七三四条の規定は現代においても近親婚として禁止されるべきことにはなるが、その他の場合、七三五条及び七三六条は、家族内の身分階層制の厳格さを維持する手段として規定されたものであつて、親子関係が断絶してしまつた後にまで婚姻を禁止すべき理由はない。直系姻族間の婚姻が禁止される具体的、合理的理由は見出せないのである。このように倫理感は不変ではなく、時代により変遷するものである。今や、現行民法七三五条及び七三六条は大いに見直しをしなければならず日本の多くの学者はそれを主張し、諸外国においては直系姻族間の婚姻禁止規定は削除されたり、改正されたりしているのである(たとえば、アメリカ合衆国二六州、フランス、ドイツ民主共和国、ソヴイエト、中華人民共和国)。

(七) しかも、婚姻の自由及び配偶者選択の自由の原則が最大の尊重を要求されている憲法の精神からすれば、婚姻の禁止は明らかにそれを是認できない合理的な理由がなければならず、それが存在するとはいえない直系姻族間の婚姻禁止規定は憲法の精神に合致しないといいえよう。

(八) 以上のように本件の直系姻族の婚姻禁止にあたる内縁関係が「反倫理的」であるとはいえないのである。

二 (一)仮りに本件内縁関係が「反倫理的」であるとされても、第二で述べたと同じ理由で、その反倫理性は低く法三条二項に該当しないと解釈されるべき程の反倫理性はない。

(二) 婚姻禁止規定にあたる重婚的内縁関係でさえ、前述の如く法三条二項の適用をうける場合があるのである。

まさか、一夫一婦制をとるわが国において、重婚的内縁関係を全く反倫理的でないとすることはあり得ないと思われるが、原判決は法三条二項に該当する程の「反倫理的」なものではないとする。

(三) しかし、本件内縁関係と重婚的内縁関係とその反倫理性にいかばかりの違いがあるといい得るのであろうか。

原判決は「将来有効に婚姻関係に入り得るか否か」がまるで法三条二項の適用をうけるか否かの反倫理性のわかれめの如く認定する。

これは甚だ不合理である。なぜなら、法三条二項に該当するか否かはその給付を受ける時点において(原判決の立場に立つならば)反倫理性があるや否やの判断であつて、重婚的内縁関係は一方の婚姻が解消されればもう一方と有効な婚姻関係に入れるといつても、それはあくまで仮定である。給付時点でもう一方と有効な婚姻関係に入つていないからこそ問題になるのである。

しかも、遺族給付については通常有効な婚姻関係に入ることはあり得ない(死亡した被保険者が重婚的内縁関係を発生せしめた者であれば、その者の死亡により有効な婚姻関係に入ることは不可能、但し、受給者が重婚的内縁関係を発生せしめた者の場合は別)ことだからである。

(四) また重婚的内縁関係は一方の法律上の配偶者の地位を何らかの形で侵害する。それにひきかえ直系姻族間の内縁関係は具体的な個人の権利侵害は伴わない。個人の尊重を原理とする憲法の下で、どちらが、反規範性ないし反倫理性が強いのであろうか。直系姻族間の内縁関係であるといいきることは困難なはずである。

(五) このように重婚的内縁関係と直系姻族間の内縁関係とが法三条二項の適用を異なつてうけるについてその差違を設ける合理的な理由が見当らない限り法の下の平等に反するといえる。

(六) また、遺族の中に、事実上の配偶者以外に受給資格のある者がいれば、事実上の配偶者の生活保障も間接的に受け得るともいえるが、本件内縁関係のように上告人を除いては受給資格のある者がいなければ、被保険者の遺族の生活保障としての給付はなされず、制度の目的も達成できないのである。

第三 以上から「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻生活と同様の事情にある者」は限定的に解すべきではなく、社会通念上夫婦としての共同生活と認められる事実関係を成立させようとする合意が当事者間にあり、現実にそのような事実関係が存在する内縁関係にある本件内縁関係は、法三条二項の適用をうけるものである。 以上

【参考】 二審判決(東京高裁昭和五九年(行コ)第六号 昭和五九年七月一九日判決)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一 申立

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人が昭和五六年四月九日付で控訴人に対してした厚生年金保険法による遺族年金を支給しない旨の裁定を取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文第一項と同旨の判決を求めた。

二 主張

控訴代理人において、控訴人は法三条二項にいう「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」にあたると解すべき理由につき、原審における主張に加えて更に次のとおり主張したほか、原判決事実摘示のとおりであるから、引用する。

1 民法七三五条により直系姻族関係にある者の間の婚姻が法律上禁止されているからといつて、そのような関係にある者の間の内縁関係がすべて社会の倫理観に反するものとはいえない。ちなみに、アメリカ合衆国の二六州では姻族であつても婚姻は可能であるし、フランスでも、姻族関係を生ぜしめた者が死亡した場合には、免除を得て婚姻できることとなつている。

2 仮に、本件内縁関係が反倫理的なものであつたとしても次の理由により、控訴人は、法三条二項にいう「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」にあたるというべきである。

(一) 法の目的は「労働者及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与すること」(法一条)等であり、また、法の定める遺族年金は社会相互扶助の理念に基づく生活保障費としての性格をもつもので、その保険料は被保険者と事業主がそれぞれ半額を負担し(法八二条一項)、妻には、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含むものとしている(法三条二項)から、法は、形式よりも生活実態を重視しているというべきであり、法三条二項の「事実上の婚姻関係」に含まれるか否かの判断にあたつては、被保険者と生計を一にしていたか否かがその重要な基準となるといえる。

(二) 法による保険給付は公的給付そのものではない。保険給付に要する費用についての国庫負担は多くてもその百分の二五(法八〇条)であつて、被保険者及び事業主の負担が大部分である。そうだとすれば、公の秩序に形式的に反するからといつて給付しないといえるものではないはずである。

(三) 反倫理的といつてもその反倫理性の程度はさまざまであり、例えば、重婚的内縁関係の取扱いについて、社会保険庁年金保険部長の通達は、「届出による婚姻関係がその実体を全く失つたものとなつているときに限り、内縁関係にある者を事実婚関係にある者として認定するものとすること。」として、民法七三二条の趣旨に反する事実上の婚姻関係であつても法の適用があり得ることを明らかにしているのである。

(四) 控訴人が遺族年金を受けられないとすると、亡直治の子はいずれも直治の死亡当時満一八歳に達していて受給資格を有しないから(法五九条一項)、結局、直治の遺族は厚生年金から何らの支給を受けられないことになる。直治は、将来自分の、あるいは妻や子の生活費の保障とするために保険料を拠出してきたのであり、それにもかかわらず遺族が何ら受給できないというのは甚だ不合理である。

三 証拠関係 <略>

理由

当裁判所も控訴人の本訴請求を失当と判断する。その理由は、左に付加するほか、原判決理由説示のとおりであるから、引用する。

「控訴人の当審における主張について検討するに、1は、およそ将来においても法律上有効な婚姻関係に入り得る余地のない内縁関係を反倫理的でないと解することはできず、我が国と事情を異にする外国において主張のような法制が存在することは、右のように解することの妨げとなるものではないから、失当である。2は、(一)(二)で指摘されているような諸点を考慮に入れてもなお、法による保険給付が公的な給付の性質を有するものであることは否定できず、法はかかる公的給付を受けるにはそれにふさわしい者を給付対象者とされるべきであるとしているものと解されるのであり、(三)記載のように、重婚的内縁関係の場合について主張のような取扱いがなされているとしても、右の場合は、例えば、将来法律上有効な婚姻関係に入り得る内縁関係であるか否かなどの点において、本件内縁関係とは著しく事情を異にしているので、本件内縁関係の場合をこれと同列もしくはこれに準ずるものとみることはできず、更に、(四)のような事情があるからといつて直ちに反倫理的関係に立つ者に受給資格を認めることはできないから、これもまた採用することができない。」

よつて、控訴人の本訴請求は失当であり、これを棄却した原判決は正当であるから、本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田尾桃二 南新吾 根本眞)

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